すごい映画とかいい音楽とか、観たり聴いたりした時、なんとかこの脳の中に収められてる言葉で精一杯その凄さとか良さとか伝わるようにって書き連ねてみるけど、果たしてそれに成功したことが今までにあっただろうか。レビューを読んで、それに共感したことがあっただろうか。まあ多分あったんだと思う。でもそのほとんど八割くらいは、引き合いに出された別作品だったり別のミュージシャンだったりを知らなくてうんざりするか、ライターの知識のひけらかし〜チッて思うか、抽象的な言葉の羅列に結局何が言いたいか分からん、と馬鹿にしてしまうか。馬鹿にされてるのは読者側だと言われてるようで更に苛立つか。
映画も音楽も詩もそのほとんどは沢山の言葉で出来ているし、音でできているし、なんだったらそれが混ざり合って色になったりして、視覚に映る動きとか物とかそんなの取っ払ってこの脳に勝手に再生される像になったりする。そもそもそれを、私はラジオパーソナリティでもテレビで発言できるようなコメンテーターでもないから、何とか言葉だけで言い表してみようとか、説明するのは大変だから何なら散文でレビューとかそんなの置いといてただただ感じたことを書いてみようとか、思うよね。思うんだよね。でも出来ないんだよね。そんなの書きたいって思う時なんて大抵めちゃくちゃ感銘を受けた時に決まってるのに、表現者側に伝えたいことの一割も私は伝えることが出来ない。無力だよ。それはもう途轍もなく無力だよ。
中原中也の詩を読んでも、宮沢賢治も最果タヒもよくわかんないよ。彼らの言いたいことなんて理解できないし、せいぜい日本語のリズムと音に乗る耳から脳に流れ込むような言葉の泳ぎに、時々いいかもななんて思ってみるくらいで、カッコつけて読む気にもならない。悔しいよ分かりたいよ。クイズみたいに答えがあったら答えたいよ。早押しには勝てないかもしれないけど、答え聞いて納得とかしてみたいよ。
ついさっき、男の子が書いたやけにロマンチックな歌詞の曲が何だか最高に良くて、オシャレとかエモいとか切ないとかカッコいいとかどれもそうなんだろうみたいな言葉当てはめてみて、彼は全然難しい言葉なんか使ってなかったのに、私はその曲を聴いた自分の気持ちを全然スマートには表現できなくてさ、いつも回りくどくてさ。話し始める前に、えっとーとか、それで、とか前置きばっか長くなるみたいに本題になかなかは入れなくて、とりあえずって感じでそれっぽい言葉探して、未だに見つからずに悶々として、いつか見つかるかなって何度も何度もリピートする間に、句読点で締めるタイミングさえ見失う、そんな夜だ。
君の世界に僕も生きられるなら
好きな人が出来たら、この曲を流して、MVの井口君みたいにちょっと猫背気味で踊りたい、40センチくらいの距離を保ちながら。台所でちょっと腐りかけのケーキとか食べたり食べさせたりしながら、まだ大人になりたくないってフローリングの髪の毛を足の先で集めて、言葉なんて要らないかもって生まれて初めて思いたい。
言葉なんて要らないかも。
言葉なんて要らないかも。
言葉なんて要らないかも。
martha.
2018.11.5
king gnu 「It’s a small world」
